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滬尾(こび)砲台

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滬尾(こび)砲台滬尾(こび)砲台

【滬尾(こび)砲台】清仏戦争―台湾で戦闘がおこなわれた基隆、淡水、澎湖の戦いの模型と、清仏戦争の滬尾の戦いの過程を展示しています。このほかに滬尾砲台に関する史料と台閩地区の砲台の古い写真、淡水地区の集落、文化、地理と台北盆地と相互に関係した古写真のシリーズがあります。 【滬尾(こび)砲台の建設】滬尾砲台は清仏戦争の後、清朝が台湾の海岸防衛建設を強化するために、澎湖、基隆、淡水、台南の安平、高雄の旗後の5か所の海港に10基の砲台の建設を決定しました。1886年台湾の巡撫(知事)劉銘伝は、ドイツ国籍の建築技師であるヘクト(Max E. Hecht)を招聘しました。西洋スタイルの砲台をモデルとして10基の砲台を建造し、滬尾砲台はその内の1基となります。 【営門】砲台の唯一の出入り口であり、上方には清朝の光緒12年に劉銘伝自らが揮毫した「北門鎖鑰」の4文字があります。

【外壁(支壁)】【外壁(支壁)】

【外壁(支壁)】滬尾(こび)砲台の外壁は最高地点で約7メートル、建築形式は垂直と斜面の2段階であり、守りやすく攻め難い機能があります。

【土塁(主壁)】【土塁(主壁)】

【土塁(主壁)】土を盛って作られ、砲台の主体よりやや高い土壁です。主な機能は砲台の援護であり、滬尾(こび)を「暗砲台(外部から見えにくい隠蔽式砲台)」としています。

【空堀(周濠)】【空堀(周濠)】

【空堀(周濠)】砲台の周囲を囲い、土壁と外壁を分けるのに用いられており、駐屯している軍の防衛と監視能力を向上させています。

【甬道】【甬道】

【甬道】ドーム式の甬道は兵士の活動スペースであり、内部は兵舎と弾薬室に分けられています。一部の甬道は元の様子を保っており、その他は現在展示空間として利用されています。

【展示】【展示】

【展示】甬道展示の内容:清仏戦争で台湾が戦場となった澎湖、基隆、滬尾(こび)の戦いの模型と滬尾(こび)砲台の復元模型。清仏戦争の滬尾の役の概要と古戦場の路線図および、サイクリングルートのプロモーション。滬尾砲台に関連する史料と台閩地区の砲台の古い写真、淡水地区の集落、文化、地理と台北盆地の相互に関連する古写真が含まれています。このほか、北側の甬道でも定期的にすばらしい特別展示が開催されています。

【50機槍堡(機関銃のトーチカ)】【50機槍堡(機関銃のトーチカ)】

【50機槍堡(機関銃のトーチカ)】 民国政府時代に増設された機関銃用のトーチカです。

【高射砲台】【高射砲台】

【高射砲台】日本統治時代に設置されました。

【通気口】【通気口】

【通気口】甬道から被覆上方に直接通じ、合計36個あり、甬道内の空気の調節に用いられました。

【砲座】【砲座】

【砲座】滬尾(こび)砲台にはもともと4基の大砲が備えられており、それぞれ12インチと10インチのアームストロング後装砲で、その他にそれぞれ1基21センチのドイツ製クルップ後装砲が組み合わされていました。4基の大砲は日本統治時代に日本軍が接収してしまい、現在滬尾砲台には大砲がありませんが、砲座ははっきりと見ることができます。

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